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私のくだらない質問にも笑顔でハキハキと答える姿に、また何かあったら買取は御社に任せようと思いました!
銀判(ぎんばん)とは地方貨幣で、幕末頃に一部の藩で鋳造されたものです。
希少価値的にも、どの銀判も古銭の価値が高く、買取市場では保存状態によっては銀とはいっても、30,000から200,000円以上の高値が付くほどです。
ただし、研究用の模造品が大正時代から昭和の初期にかけて鋳造されているので、売買する際は、鑑定をうける必要があるでしょう。
幕末の慶應4年(1868年)3月から盛岡藩が鋳造したのが盛岡銀判です。
盛岡藩が独自の地方貨幣である盛岡銀判を鋳造した理由は、戊辰戦争の軍事費用を調達にありました。
盛岡銀判には、
の2種類がありますが、七匁銀判は試作品だったので、流通せず、現存するものは1、2枚と推定されています。
つまり希少価値が高すぎて値段がつけれないということです。
幕末の文久3年(1863年)11月から久保田藩が鋳造した地方貨幣が秋田銀版です。
久保田藩が秋田銀判の鋳造に踏み切った理由は、先と同様に戊辰戦争が影響していると考えられています。
秋田銀判には、
の3種類があります。
一匁一分五厘は試作品だったので先の七匁銀判と同じく希少価値が高すぎて、値段をつけられないほどです。
銀判を売るなら知っておくべきポイント
高温多湿の場所に置いておくと、劣化や変色の原因になります。
もし見つかったら市販のコレクション用のケース等にに入れるなどし、できるだけ素手で触れない、空気に触れさせないようにしましょう。
また洗う必要はありません。
古銭は汚れも価値の一つとして考慮されることもあったり、素人が洗うとキズがついて価値が下がることもあります。
そのままの状態を保つようにしましょう!
パソコン画面を通してお話しながら査定が進んでいき、あっという間に入金までしてもらえました。
買取額もしっかりした説明で納得できましたし、前払いシステムにも安心できて大満足です。
私のくだらない質問にも笑顔でハキハキと答える姿に、また何かあったら買取は御社に任せようと思いました!
私には理解できない古銭収集ですが、夫がもう収集をやめるからということで、私が代わりに査定に出しました。
わざわざ来てもらうのも気が引けるので、携帯を使って査定して頂いたのですが、機械オンチの私でも簡単にできたことに感動しました。
年寄でも利用しやすいこういったサービスはとても助かります。
私が子供の頃から仏間の額に飾ってあった銀の小判の価値がずっと気になっていました。
祖父が他界して気になっていた価値を知ろうと無料査定してもらったところ、全部で50万円という査定に!
査定したくださった方は宝物を扱うように大切に一つ一つ丁寧に取り扱ってくださり、古銭に対する想いを感じることができました。ありがとうございました!
金の小判と色が違っていたのできっと買取してもらっても安いだろうと思っていました。
しかし、保存状態が良好ということで12万円でなんと買取できました。
銀の小判にもびっくりしましたが、その買取価格の高さにもびっくりでした!
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